大田(だいた)城

2016年4月11日撮影


◆別名:

城山城 : 松平城山城

 

◆所在:

豊田市豊松町西ヶ入

 

◆交通:

 

◆歴史:

松平宗家三代目の信光と、その八男光親が築いた城と伝わる。

 

寛政6年(1465年)に額田郡一揆が起こり、鎌倉殿(古川公方)の命と称して、深溝城の大庭次郎左衛門を始めとした額田郡の豪族達が東西の街道を封鎖した上で、京都への租税物などを奪い取る暴挙に出る。

これに対し室町幕府は三河守護の細川成之に鎮圧を命じるが、井ノ口城に籠った一揆側の主要人物を全て逃がしてしまう失態を演じたため、改めて松平信光や上野城の戸田宗光らを中心とした豪族に鎮圧命令が下り、一揆側を敗北へと追い込んだ。

 

この結果、松平氏は深溝形原などの土地を得る事ができた。

信光は各地へ息子を配していった結果、松平庶家が起こる事となり、松平家の実効支配が西三河一帯だけでなく東三河の宝飯郡まで伸びていった。

松平光親も能見を得て、能見松平氏を起こし、子孫は大名となっている。

 

大田城は大給城と共に松平郷岩津城を結ぶ街道を守る城として長期間使用されており、天正12年(1584年)に起こった小牧長久手の戦いの際には、秀吉に対する三河防衛のため、徳川家によって改修が施されたと言われている。

 

◆現在: