2015年4月27日撮影
◆別名:
◆所在:
豊田市本地町
◆交通:
◆歴史:
大給城主である大給松平家六代当主、松平家乗の二男である松平知乗が築いたとされる城。
逢妻女川と街道が交わる所から東にある小高い丘の上に築かれていた事から、交易を目的とした人々を守る城として作られたと思われる。
◆現在:
豊田ICの西にある観音寺境内が城跡とされるが、近隣にある鳳面館や、宮口城、藤五城などと同様に遺構などは残されておらず、観音寺の看板にも城の記載は無いため、詳細などは不明。