宮口(みやぐち)城

2015年4月27日撮影


◆別名:

鼓ヶ城

 

◆所在:

豊田市天王町6丁目

 

◆交通:

 

◆歴史:

逢妻女川が小高い地で蛇行した箇所に作られた城と思われる。

当時は船が遡上できる程に川幅も広く、船着き場なども設けられていたとされる。

 

尾張笠寺の土豪であった篠田氏は長寛2年(1164年)頃、貞近の代に、この地へ移り住み宮口城を築き、支配を強めたものの、南北朝時代の建武3年(1336年)勢力を伸ばした松平家の軍勢が攻め寄せ、宮口城は落城し7代目の篠田貞宗は城を枕に討死。8代貞幸は伊勢へと逃避する事となる。

 

宮口城には、松平2代目泰親の子、加納久親(3代信光の弟)の嫡子である加納政久が入城するが、篠田家9代目の幸直は宮口城へ戻り、再度、この地を篠田氏が支配する事となる。

 

その後、永禄3年(1560年)に織田信長に攻められ、宮口城は落城し、17代目の貞英は一族を連れ、猿投の三宅氏の元へ身を寄せる事となる。

宮口城は本多康紀の支配下に置かれるが、篠田貞英の孫にあたる19代目の貞長は宮口の地へ戻り、衣道屋敷を築いて暮らしたと伝わる。

 

◆現在:

JAあいちが立つ場所を中心として城があったとされている。周囲は宅地化され遺構などは存在しないが、城跡の北西には宮口神社があり、この神社は城跡とされる場所から考えると宮口城の詰城のような役割を持っていたと考えてもおかしくは無い。