用水路とガードレールの隙間に残る太田備後守の碑
2015年12月14日撮影
※2016年に駒場交差点脇に移設・保存されている。
平成28年に、駒場東交差点脇に移設された太田備後守の碑。
その脇には駒場城の碑が建てられ、保存される事になった。
2017年7月16日撮影
◆別名:
◆所在:
豊田市駒場町東埜中
◆交通:
◆歴史:
詳細不明。
太田備後守(実際には太田しか読み取る事ができない)の碑が残る事から、太田氏の城と伝わっているが、築城年などは不明。
一説には、知立にある無量寿寺(かきつばたの寺として有名)は慶雲元年(704年)に慶雲寺として、駒場地区に創建されたが、弘仁12年(822年)に真言宗の僧侶である密円によって移転したと言われている。
駒場城は慶雲寺の守城であり、この地の豪族であった太田氏が慶雲寺を勧進した可能性もある。
無量寿寺へと移転した経緯は不明だが、壬申の乱以降各地で戦が起こっていた時代でもあり、戦火の中で駒場城とともに失われた可能性は高い。
◆現在:
城跡は一面の田になっており、用水路とガードレールとの隙間に太田備後守の碑が残されている。
太田●●●(現在は判読できず)と刻まれた碑が用水路脇に立てられている。
※2016年移設
碑のある場所から東側を撮影。
一面の田となっているが、正面右側に見える建物のあたりが城跡だったと言われている。