国江(くにえ)城

城跡の東側にある、国江公民館脇に残る常夜灯

 

2016年2月22日撮影


◆別名

 

◆所在

豊田市畝部西町城ヶ堀

 

◆交通

国道248号線にある天神橋東の信号交差点を西へ入り、矢作川を渡る。

2キロ程進んだ所にある畝部西町城ヶ堤の信号交差点の北側一帯が城跡と伝わる。

 

◆歴史

南北朝時代末期の武将、宇都宮(宇津宮)泰藤は南朝に従い、新田義貞が討たれた時に三河の上和田へ落ち延び、上和田城を築いて土着した。

 

泰藤の孫にあたる高正は泰藤の命により、国江城から500m程東にある字屋敷に高正館を築いて一帯の支配を始める。

高正の息子である高朝は、国江城を築き本拠とし、高正館に隣接する地には幸福寺を建立して父の菩提を弔ったと言われている。

 

高朝から三代後の高宗は永生3年(1506年)に松平家を裏切り、今川家に付いたため安翔城主の松平長親に城を奪われ駿河へと落ち延びたと言われており、高正館と共に破却されたと伝わる。 

 

◆現在

県道沿いに城ヶ堤と言う交差点があり、その北西は城ヶ堀と言う地名になっていはいるが、現在は田畑となっており、遺構などは存在しない。