上野下村(うえのしもむら)城

県営住宅の東端から北を向いて撮影。

家下川沿いを300m程北へ進むと上野城が存在する。

 

2016年2月22日撮影


◆別名:

会下城 ・ 下村古城

 

◆所在:

豊田市上郷町会下山

 

◆交通

安城市内で国道1号線と県道76号線が交わる尾崎町柳田の信号交差点を北上し、4キロ程進むと県道239号線と交差する上郷町1丁目交差点を右折する。

愛知環状鉄道の下をくぐり、2つ目の信号交差点(上郷町5丁目)を右折。300m進んだ上郷中学校東の信号交差点を左折し、50m先の路地を北へ入った先に墓地がある。

墓地の北側が天道院で、入り口角に榊原康政誕生日が立っている。

また、中学校東の交差点をそのまま東に進んだ川の手前にある県営住宅が城跡と言われている。

 

◆歴史

城主に内藤清長と甥の正成の名前があるが、築城は足利家の庶流で、伊勢から三河へと移り住み、松平親忠に従った榊原清長(徳川四天王の一人である榊原康政の祖と思われる人物)と言う説がある。

 

内藤清長を追ってみると、天文11年(1542年)に織田信秀が上野城に攻め寄せた際に、防戦に努めて織田勢を追い払った。その後、永禄6年(1563年)に三河一向一揆が起こると一揆方に与し、一揆が敗れ去った後は荻城へと蟄居したと伝わる。

 

廃城になった時期は不明だが、至近距離にある上野城の歴史を見ると、天文14年(1545年)に松平広忠が攻め落として酒井忠尚を入れており、三河一向一揆が起こった時点で内藤氏は幡豆郡へと移っている事から、天文年間末期(1550年頃)に廃城になったと思われる。

 

◆現在

県営住宅一帯が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。

住宅地の200m程北西に天道院があり、南西角に榊原康政誕生地の碑が残されているが、上野城にも同様の生誕碑があり、どちらで産まれたのかは定かでない。


天道院の角に立つ榊原康政の生誕碑