◆別名:
◆所在:
豊田市大内町字城下
◆交通:
◆歴史:
文明年間(1469年~1486年)以前より長坂屋敷を本拠として一帯を支配していた長坂新左衛門が築いた事が始まりとされ、屋敷との立地関係から見ると、当初は詰城の要素を持った物であったと考えられる。
応仁2年(1468年)頃、松平城を中心に勢力を伸ばしていった松平信光(松平宗家三代目)に対し、保久城主の山下重久、岩倉城主の源兵衛らと対峙するが、戦に敗れ長坂新左衛門は討死したと伝わる。
長坂一帯を手に入れた松平信光は、子の親忠(松平宗家四代目)を配し、親忠の次男である乗元が本格的な城を築いて大給松平氏を名乗る事となる。
城郭は山頂付近に主郭を設け、周囲を腰郭で囲った物で、北面には水堀と水源の確保の両面の役割を持つ水ノ手曲輪を配しており、石垣を利用した堤防は幅30m、高さ5m程もある大規模な物で、現在も遺構として残されている。
◆現在:
城跡一帯は整備保存されているが、近年フリークライミングのスポットとして話題になっているようで、天然の大石に器具を打ち込んだ跡が残っているのは残念である。